うんざり。

ほんのすこし身動きするダヶで雲ひとつない空ヵラ大金が降つて來る魔術があるさうな。
あるひは云ふ。どんな物體でもスッポリと収めてしまふ、魔法のあながあり、ソレをみた者は、たちまちにして天國へと昇るコトだらう、と。
また、ある者は云ふ。馬をみると、その馬がどれだけ速く驅けるコトができるのか、ひとめでワカル方法があるのだ、と。
さらに、ある機械にコインを入れてボタンを押すと、そのコインが凾の中にザクザクと溢れんばかりにふえて來る。そんな機械の手なづけヵタがあるのだと云ふ。

ナゼ、みも知らぬヒトたちが、こぞつて私ごときにそんな大層なコトを、いろいろとご教示くださりたがるのか?
ご自分で存分に享受なさればよろしいではないか。
そして、カネで買へるやうな安い人生を樂しくおすごしくださいな。
くそをなさり、寢でください。あ、寢は音讀でね!

ふたゝび「共有」について。

これらのゴミ・めーる屋さんを退治しないコトには、個人向け電腦器は、いくら普及したトコロで、ひとのシアハセのためには貢献しないだらう。すくなくとも、自分にとつては不仕合はせのもとでしかなかつた。そして、時間のムダ。

・電網上では惡意のこもつたコトバばかりがいつまでもコダマする。

ごくあたりまへに、便利を分かち合ひたいのに、ソレ以前に惡魔がはいり込んでこないやうに、建てつけのワルい雨戸にツギを當てたりして。ピタリと閉じた部屋のなかヵラ恐々覗いてゐるのはホントの世界なのか、それともマボロシか?

・なかのひと。ナドといふよびヵタがある。

表徴は、演じられた表面なのではない。「あらはれ」は、本來、そのヒトそのものであつたハズだ。
電網空間とは、共通の空間を仮想し、そんな場所であつても、虚構ではない本當のヒトとヒトが出合ひ、なにがしかの仕亊をなす場ではないのか?
めうな身振りダヶをみせものにし、ほんたうになすべき仕亊を隠蔽しながら、「なか」ナドといふのはいかゞなものか。。。