各々が置かれた文化状況を顧みることなく恰も檢索ワードでの文字列一致を拾ふボットよろしく所謂「旧字旧かな(※別の云方をしたところで指示對象は同じだ)で書かれた文章としてのカテゴリ」を明に確立し圍込みを促進する無自覺な原理主義には「反對」したい

ほんらい音韻的に正確な綴りとするために「ゐる」とか書いてたりするのであつて時事的な發聲の訛化に即して忠實な表記をしたい向きへのカウンターとしてコトバの綴り方を原理的な遡行力學で以て局限していくやうな理屈に基づいてコレを用ひてゐるのではないし正統性が何うとか古典に則つて云々とかの後付けの知識(蘊蓄)みたいなモノを弄ぶ趣味ももちろんないわけで「音韻主義に反對…」なんて勇ましくも何かの活動家めいた眞似をやつてる方々とはコトバの用途としてまるで異なつた地平で自分はコレを扱つてるのだから樣式上でのマイナーな状況そのものは似通つたところに置かれてるのかもしれない彼らに對して多少の同情はあつたとしても根源的には關係があるとすることは何うしても出來ない。