さがさないでください。

さがさないでください。」といふ名前のブログを、ほかで書いてゐるのだけれど、「さがさないで…」を鍵語にして、檢索をかけてくるひとがとてもおほいのが私には不思議なコトにおもへる。行方不明の家人を搜索してゐるのか?それなら私の處でも条件としては、まあ、そんなに外れてゐるといふワケでもないが。
しかし、私の家人が檢索者である可能性は、きはめて低い。本氣でさがすのなら、もつと實用的な單語がいくらでもあるヵラだ。
試みに、コレを鍵語に、網路を手繰つてみると、どうやら自殺者の遺書にもちゐられる紋切型であるらしいのがわかつた。そのやうな解説がいくつかあつた。
私は、生命を自らの手で失はうとする者が、他人に「さがすな」などといふ權利はないとおもふ。生命を捨て、物質に成らうといふヵラには、さがされようがどうしやうが知つたコトではないではないか。なにもかもを捨て去り、あらゆるしがらみを斷ち切つて、強い意志と覺悟のもとに、別の人生を「生きる」コトを選擇した者こそが、使ふべきコトバなのではないか。と、かんがへる。
(假投稿です。コレが滯つてゐるためにつぎの日記が書けないため、とりあへずアプします。)