かなづかひ...

コトバといふのは、變化するコトを目的としてゐる譯ではないはずだ。ながい年月を俯瞰してみれば變化していつてゐるのだらうけれども、使用するにあたつては、将來的にも不變であるコトが絶對条件として見込まれてゐるモノだとおもふ。さうでなかつたなら、私たちはコトバを記録しようなどゝはおもはなかつただらうから。。。
書きコトバとしての和文の發生期において、發聲にあはせて假名文字を當て込んでいつたのは、亊實であらう。時とともに發聲が訛つていつたといふのもあるだらうとおもふ*1。しかし、變化のつど假名文字表記を變更してしまつては、統一言語としては役にたゝなくなつてしまふだらう。なぜなら、訛りといふのは時間軸に沿つてリニアーに變化してゆくばかりな譯ではなく、地域的、階層的なひろがりを伴つて變化してゆくモノだからだ*2
したがつて、假名文字は表音文字に似て非なるモノとかんがへたはうが、合理的だとおもふ。そして、このコトから假名遣ひは正假名*3をもちゐるのが理に適つてゐるとおもふ*4

*1:とほい過去の世代のひとびとについて、文字以外の記録媒體によつてコトバを知るコトができない以上、實際の發音がどのやうなモノであつたかはわからないのです。

*2:アルファベットなど表音文字を使用する文化圏では、それがおこなはれたのかもしれない。そのために祖先をおなじくする、おほくの言語が存在するのかもしれない。

*3:正直謂つて「正」トヵいふのッてイヤなんだよな。單に「かなづかひ」のハナシぢやないか。。。

*4:しかし、「新かなづかい」が、こゝまで浸透してしまつた亊實を無視するコトはできない。「新かなづかい」を、いまさらなかつたコトにしては、さらに混乱の度を深めるだけだ。どちらかを禁止するのではなく、どちらをも許容してゆくしかみちはないのではないか?