夏祭り。

神輿を担ぐ掛け聲で眼が覺めた。窗ヵラ覘いてみると、山車も出てゐた。もそつと、担ぎ手の頭數が欲しいかんじの威勢である。
ひととほり仕亊はヵタづいてゐるので、シッカリ休むコトとする。
晩にカレーを食べようと想ひたち、隣の團地のスーパーマーケットまで買出しにゆく。こちらの自治會でも夏祭りだつたやうだ。兒童公園のなかに紅白の櫓が組まれてゐた。
數年前の花火の歸りみち、このマーケットで買物をしたコトを憶えてゐる。まさか、この土地の住人となつて、こゝで買物をするとは想つてもみなかつた。なんだか感慨が深い。
近處の大公園(野球のグラウンド)まで戻つて來ると、盆踊り(まだ「盆」ではないが?)の囃子がはじまつてゐた。意外なほどの人出で賑やかだつた。をどるひとの數は少なめだが、夜店は繁盛してゐた。ビールを片手に、ホットケーキみたいな餃子をつまんだりした。


生家の前が公園になつてゐて、毎年そこに櫓を建てゝ盆踊りをしてゐたので、祭りはキライではない。踊りををどる習慣がないダヶなのだが、祭りギライな兒供とおもはれてゐたみたいだ。
神社佛閣に對する氣持ちのありやうなんかも近いヵモしれない。畏敬の念は持つが、拝むといふ習慣はないのだ。寺社の境内をウロついてゐて、なぜ拝まないのか?と、寺男に説教されるコトはたびたびあるが、信心があるのと、單に形式を正しく蹈むのとでは、ドチラがカミやホトケの爲になるのだらう。形式を蹈まないヵラ地獄行き。てンなら、それでも好いや。
カミは道端の石コロのなかにだつて遍在してゐるんだヵラ、識るコトのできたすべてのモノに感謝をさゝげ、日々別れを告げてゆくのが、信心てえモンだとアタシやおもふのだ。それァなんだつて、眼にみえないトコロで營まれるのがホンタウだらうがね?


べらんめい口調になつてしまつたが、この日記はあしたヵラ夏休みとします。ごきげん好う。