左樣で御坐ンしたか...
いまさらなんだけれど、氣がついたコト。
「私と私と私なんです」といふのは、れいの最後が「…と、あなた」て、やつ*1のモジリだつたのか...
…と、やつと繋がつた(だから、そこダヶ太字だつたのね)。
なかなかセンス好い捻りだなあ~と、おもつてゐたのです*2。で、私のなかでは、果然勝手なイメジが喚起されてゐたりするのよね。「實存」についての説明として、これ以上のものはないんぢやないかと... *3
ところで、「私」といふのは「個人」といふ意味なのだよね。中/日マゼコゼ文をかくときに、この一人稱にはすこし違和感をかんじてゐます。
ちなみに、この讀みは通常「わたくし」で願ひます。「わたし」とする場合には「かながき」すべきなのです*4。
(↑※アレ。)