感覺的な解説の範圍。

この日誌での文章および脚注の細かさといふのは、喩ば「紺野さん」がネットサーフィンをしてゐたとして、この網誌を偶々目にしてしまつた場合に*1「eulearのはなしは御宅過ぎてぜんぜんわからないよ」といはれないやうに、專門的に過ぎるかも知れない御話の部分については平易な解説を施すべく心掛けてゐる。大體そんな感じで「限られたひとに對する傳達」だけでも念頭に置いておけば、客觀的な地點で「わけのわからない獨り言」にはならないで濟むのではないかと私は考へてゐる。實際にどの程度の客觀性を具現してゐるかは些つと判らないが、ブログの基本セットといふのは必要があれば不明な點を問合せることが出來る仕組みなのだからフォローは可能だらうとおもふ。

*1:假のはなしですよ。念を押しますが。