サイトトップにある種の拒絶の言辭を掲げながらもこのダイアリーのコンセプトである「他愛なさ」を貫くことが文字どほりの不可能であることは判つてはゐるのだけれども自己の「在りやう」そのものを臺無しにする類型化をされてるのをオトナシク受容するやうな寛容心を自分としては持ち合はせてなかつたものだから斯うした救ひやうのない非道い足掻きをするより仕方がなかつたのだ*1

*1:もちろんwebなどの關係性の平面において社交上で損をするのは惡態を吐いたはうだと相場は決つてるのだから、斯うした態度のどこからして「良い子ブリッコ」との類型が導かれて來たのかはまるで解らなかつた(わかりたくもないが)。