問ひの發されることに付随して、敢て識る必要のなかつた出來事にまで觸れてしまつたといふのはあるかもしれない。でも、ウヱブなんていふバラ撒きのシステムのなかで自分自身も活動するのを續けてる以上、斯うした問ひかけの矛先は當然のやうに自分をも示してるものとおもふ。自分も知らぬ間に負の情動を傳播/擴散させることに加擔してはゐないか? さうした事象に向き合つたとき、そこでちやんとNOといへるだらうか? あまり自信がない。