デュアルな人生としての「D」

FOMAの電池はなくなるのがはやいので(テヵ、切れてしまつたのですよ。たつた今)、MOVAに切り替へて入力してゐるのだヶド*1、なんだか變なかんじだ。さういへばこの端末をつかつてゐるときには、あまり文字入力をしないようにしてゐたな。ジョグダイヤルといふのが、私には合はなかつたのだつたヵ。酔つてしまひさうだ。*2

*1:「デュアルネットワーク」は、NTT DOCOMO のサービスのひとつ。FOMA 端末が稼動できない状況において、MOVA 端末に切り替へが可能とするコトで、FOMA のサービス域の狭さをカバーするのが目的。私は電池切れのときのバックアップとして使つてゐる。デジカメ付き電池パックといつた感覺。

*2:標題は、ジャン・ボードリヤール著「不可能な交換」のなかの「ダブルな人生としてのD」ヵラ。「普通」の生活には、一見したゞけでは、凡庸で、現實とみわけがつかないシミュレーション(現實と交差しない二重生活)が秘められてゐるのではないか。と、いふ内容の小論。