喚起想法的裝置。

「闇黒日記*1/平成十七年十月十一日」よりの拔き書き↓ヵラ...

…「議論の議論」…が横行し、議論すべき事が何處かに行つてしまふケースが、日本では少くない...

メタブログ屋さんに對して私がかんじてゐたのは、たぶんこのコトだな。
この手の「議論」には、勝ち負けの論理が強く影響してゐるとおもふ。
ヘタなコトを書くと怕いめに遭ふ。だから、逃げ道をたくさん用意しておく。さういふ屁ぴり腰のウェブ初心者を、メタブロガは非難するよね。
議論のスタイルといふのがあつて、それを蹈まへて堂々と渡り合はなければ、意味の流通はなかつたといふコトになるらしい。
ぢやあ、直接的對話をかさねれば、ある議題を論じ合つたコトになるのヵナ?
否、さうぢやあるまひ。罵倒の辞で埋まつたコメント欄や、矢印をつかつた拔き書きで件の論題を末梢の部分へと追ひ遣つてしまふやうな「議論」ヵラ、一體どんな眞理を導きだせばよいといふの?
コメント欄なんかで「對話」してゐても埓があかないヮケで、想法は自網誌に書いて供出したはうが議題を論ずるには遼かに効率がいゝよ。トラックバックの機能を利用すれば、對話としても成立しうるだらうしね。
ブログて、さういふモノだとおもふ。基本的に、想法を記亊に「書く」コトと、他人の想法を「讀む」コトダヶぢやないかなあ。
えゝと、議論の場といふ以前に、想ふコトを喚起する裝置といふコトで...
*2

*1:http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html …アンカーが何處にあるのかワヵラナイので(實際「ナイ」のかも?)TOPを示しておきます。引用箇所は、10/11のまんなからへんデス。

*2:*1の注 : 野嵜さんの網誌は(「闇黒…」に限らず)もつと讀まれてよいとおもふ。常用漢字ぢやないヵラ讀めないなんてのは、理屈になつてゐないデス。