忽然我想到了是説著不懂互相怎樣的方面事。

物事をどのやうに分節して行くかで、所謂"通じる/通じない"といふ部分が大きく變化するのではないかといふ感觸がある。母國語ではない言語の解り難さといふのは、逐語的な部分での表面の違ひや文章のなかでそれがどう竝べられてゐるかといふことの違ひよりも、それぞれの語感が現實をどのやうに切り分けてゐるのかのズレに因るのではないかといふ氣がする。辭書を引いて單語が指示するものや"決まり文句"としての一連の語句の竝びを憶え込んだとしても、この邊の感覺が體得されて來ない限りは難讀感が常に付き纏ひ續けるのではないかと想ふ。飜つて母國語を檢証してみても實はかうしたズレが至る處に存在してゐて、それゆゑ"通じ難い"といふ現象が發生してゐるのかもしれないと想ひ到つた。