べつに讀まれなくてもかまはないてがみ。

9/5付けのあなたの記事(メモ?)をみて心強くおもつた。マトモなかんがへを持つひとはゐるものだとおもつた。たとへ大きな聲を出すことは叶はなくとも。
もし、をかしな記號が散發的に現れて來ることがあつたとしても、さうしたものはいづれ淘汰されて行くだらうことを信じるしかないのかもしれない。悲しみの情動は爭ひをしか生まないだらうから、耐へるべきは耐へるのみだといふことなのだらう。自分の不幸"だけ"なら背負ふことは出來るかもしれないからね。