なぜ紺野さんなのか。

いつまで日誌を續けられるのかなんて判らないので、ダイアリーの目的がなぜ「こんこん」なのかを今の内に書いておく。…といつても、實は別に深い理由などはないのだが。ちよつと精神的に不安定な時期があつて、紺野さんといふのはそのときに偶々出合つた現象だといふことだ。
それが存在するといふだけで或る種の危險な状態のひとを救へる事象といふのがある。それは醫藥品のやうに對症的な部分に合致して行くものではなく、効能として顯れるのは「他愛なさの發揮」といふものだけだつたりする。しかしそれを受け容れることに因つて長く付き纏ひ續けてゐた悲しみや絶望が薄れて行くことがある。紺野さんが私にとつて偶然にさういふ「プラシーボ(※僞藥)」となつてゐたといふことだ。とりあへず目的のひとつに(※すべてを明確に説明し得る構造に變換出來るわけではないから)次を掲げる→「感謝を表すべく」。
*1

↑koncom (2001, card w/hologram)

*1:"LOVE audition 21"以降だつたこと。つまり「娘。」の存在する位置が特定のテレビ番組から離れ、CD/DVD・ユニット・各種イコン・電網上の情報等に粒子化(※バラ播き)されながら存在の場がシフトされつゝあつた時期だといふこと。かうした状況からの影響は確かにあるだらうが、しかしさうした背景の説明にはたいして意味がないと感じる。それよりも、ひとつの蔭が機械と出遇つたときに"その"手術臺は偶々用意が調つてゐたといふことなのだ。事件は内部で起こり、極めて個人的なレヴェルで推移して行つたのだ。たゞこの場でいへることはすべての偶然に感謝するといふことのみ。紺野さん及びそれに類する(※但し連接を意味しない)すべての事象に對して。