黄色の...

例の「ツヨポン」が主演のドラマをみる。動物園職員達の意識變化は仕上げの段階に入りつゝある模樣。今囘、出番は少なかつたが「都古ちゃん」の物語には偏芯した軸線がまたひとつ引かれた。このドラマはいつでも「うん」とか「はい」とか、あまり熱の入つてゐないみたいな肯定形の返事から始まつて、ストンと新しい展開へと落ちて行く。關係性の軸に沿つて地圖は當然のごとく書き足されて行くのだけれど、それが當事者にとつて本人の領土として認知されるに至るにはまだ何らかのステップが必要のやうなのだ。レコードの運針のやうにリニアーな日々の反復のなかに組み入れられ何度もなぞられることでいつの間にか強度を増して行き、ふとしたはずみにそれが變化として「在る」ことがハッキリして來るみたいなのだ。閉塞の態ではなくて。