表層的グラビュアぢやなくてイマージュの...

ロマン優光氏(※ロマンポルシェ。)が紺野さんの寫眞集について觸れた談話のなかで「…(こんこんには)幸せになつて欲しい*1」と想つてゐるんです‐と言つたとか言はなかつたとか。この話の眞僞のほどは偖て置き*2「紺野推し」といふ人種の心中ではさういつた邊りの想ひが「推し」の原動力(焦點?)となつてゐるのではなからうか?‐えゝッと一應まあ私の場合はそんなふうなんですが...
ところで「ヲタ」→「萠え」といふ圖式がどうもピンと來てゐなかつたのだけれど、この場合は何なのだらうね‐「祷り」のやうなもんなのだらうか。「紺野さんが幸せならば、世界はまだだいじやうぶ」みたいな感覺は確かにある。何故なんだらうか、もちろんアイドラトリの對象自體が平和を生産するわけではないのだけれどね。しかし喩ば紺野さんを悲しませたくないから世界が破滅しないやうに希ふ(※行動するには至らなくとも)といふことはあるかもしれない。
紺野さんのアクチュアリティとは何でせう? …總ての紺野さんたる者たち*3を象徴する機械? う~む??? よくわからないけど、こんこんはイメージの發動裝置としていつだつて「完璧です!」といふことで...

*1:紺野さんのことは、グラビュアアイドルとしてではなく「アイドル」として好きだつたとのこと。グラビュアアイドルにはそれなりに執着はするが、それは愛情としてではなく、逆に「アイドル」に對しては愛情そのものを抱いているのだといふことらしい。

*2:はなしがあやふやなのは傳聞だからです。

*3:總ての「幸せになつて欲しい」ひとたちといふこと。