みんなココロの御父さん。

『萌え』に違和感があるのは、私がアイドラトリの行爲にセクシュアルな要素を感じてゐないからなのだとおもふ。虚像に對して感じる純粋な愛情のシミュラークルといふのか。『ハイパーこんこん』などゝ云つてゐたのはアイドラトリーにおける超現實性のことをかんがへてゐたからだつた。彼女に對しては父親が灌ぐ愛情*1のやうな親密さを常に感じながらも*2なほかつマスプロダクトされたイメージの消費を同時に行ふことでしかそれを表徴できない矛盾だとか。
さういへば、父君のアスキーアートがフツウに流通してゐるのて、紺パパだけなんでないかい?*3

*1:紺パパを前にするなら、少々ヲコガマシイ形容かもしれないけれど。しかしこの感覺ゆゑに彼女が『娘。(※虚構の娘)』そのものを體現してゐるのだといへたのかもしれない。

*2:よくいはれる紺野さんの『普通ぽさ』といふのは、この邊のことを指してゐるのだとおもふ。

*3:川o・父・)ノシ<…ちうても、こんこんを表はす圖の眞ん中らへんに父君の屬性を示す「父」の文字を編入しただけだけどね。