ベイカー街の亡靈。

http://eulear.g.hatena.ne.jp/eulear/20070111
(※↑あらすぢ。もちろんネタバレがあるとおもふ。)

…こゝで收録されてゐるドラマの"現在時間"において「少年プログラマ」はすでに死亡してゐる*1。身體なき「意識プログラム」は"成長"して「少年」の死亡當時の年齢程度にまで達してはゐるけれども、もし彼がこのゲームに勝利して"生き永らへた"としても、その年齢を乘り越えて先へ進むことはできないだらう。現實の「經驗」はそこで途切れてしまつてゐるから、プログラムが打ち込まれてゐるのも"そこまで"のはずだからだ。もし「自壞」が決行されず、そのまゝ「成長」が續けられたとしても、もはや少年には「おとな」になる過程を蹈むことはできず、僅かな差異から僅かな差異へとグルグルと循環する樣態(永遠の思春期)をとるだらうと預想される。

*1:すでに死亡してゐる : 「プログラムの停止」を以て恰も二度目の死に至り、そこで初めて決定的な死を迎へてゐるかのやうな表現となつてゐるのだが、しかし最初(?)の自殺により彼はすでに「死んで」ゐる。この手のフィクションではよくある手法ではあるけれども「殘留思念」と對話が可能であるといふ「設定」によつて、現實の「死といふ事實」が薄められ、バルコニーから轉落したのは彼ではなくて「彼の肉體だけ」でしかないやうな錯覺を植ゑつけられて(※實際の對話の相手は「殘留思念」などではなく「電算プログラム」である點から視線を逸らさせられて)しまつてゐるのだ。