樂曲大賞とかの愉しげな催しにはけつきよく參加せず仕舞となつてしまつたが致し方ない。無理をしたところで何のヒネリも無く「カムツゲ」邊りを擧げるしかないくらゐに特化した聽き方しかこの一年ほどはしてないんだし -つまりは「H.P.」で括つた世界觀(一種のユートピア)からはもう離れてしまつてたんだなと改めて想到してる*1。ところでこの樂曲(カムツゲザ)には詞句に社會派チックなメッセージをストレートに乘せ過ぎてる感じがして「ちよつと如何なのよ」とか最初のうちは評價し難い氣氛だつたんだけど、でもこのコ達が象徴してる將來(もちろん私達の)についての事態がそれだけ切羽詰まつてることの表現なのかしらといふコトで思ひ直したのよね*2
…で、次點には「…すんずれい」が入るんだらうなあとかのグダグダさ加減だからね。推しメン部門とかは答へるまでもなくだよ。

*1:プロデューサが誰とかの背景は拔きで「ミスチル」が自分は好きてのと同義の感じ。あ、でも「音ガタ」の方が推し度ではリードしてるけど。もしH.P.での括りに限定するならこのチームのほかでは關心がどうしても舊譜で止まつてることを否めない。

*2:本來「うた」なんてモノは戀だとか何だとかの極く小さな旋律に沿つて流れてる方が好いんであつて聽く行爲 -讀みとしてのアレンヂメント(解釋ではないよ、斷じて!)によつて初めてあらゆる方向へと開花する裝置として作動するもんだらうがよ…てのは棚上げとしてね。