未明にてれびをみてたらシナロケが檸檬亭を演つてた。自分がその昔に樂團でヤドバーズのトレィンケプタローリンをカヴァしてたときに御客樣方が例外なくそつちの日本版の模倣樂曲と勘違ひなさるのを苦々しくおもつてたんだけど、これはローカルでの浸透率に大差のある情報について表現における體裁が同じ場合にはオリヂナル情報が驅逐されてしまつたりとかもあるてことに馴染めなかつたがゆゑの違和感だつたのかもしれない*1

*1:…いや、これは違ふだらう。そもそもAをAと同定するとか「解釋」の域に係るやうな邊りでのせめぎが音樂の遊戲を臺無しにしてることへの苛立ちだらう。模倣の模倣として誤つて受容されることで、自分が實際には原典に忠實な「解釋」をしてたことが露顯してしまつたことが問題なのだとおもふ。