言文一致體。

日本文学盛衰史』の書評(一波未平一波又起)より。
http://d.hatena.ne.jp/tinuyama/20051127#p1

「言文一致」といふ新たな文体の創出によって、当時の話し言葉の多様性が消え、以後の我々は「言文一致体」といふ書き言葉のとおりに話すやうになつた...

檢証してゐないけれど、たぶんさうなのだらうなあ... と、おもふ。
いろいろなことについてのかんがへのもとが、この件にはあるやうだ。*1


それはべつとして、私が日本語(※中國/日語混淆文ではないとき)を書くときのはなしですが...
ついつい漢字の使用をさけてしまつたりするのは、二葉亭四迷の『余が言文一致の由來』の「日本語にならぬ漢語は、すべて使はないといふのが自分の規則... 」とか「日本語でも、すでに一生涯の役目を終つたものは使はない... 」云々*2といふのに影響をうけてゐるのかもしれない(※人格形成期の讀書からXD)。

*1:まるでまとまらないが...

*2:四迷のこの引用文はウロ覺えです。ぜんぜん違ふかもしれません。たゞし、手書きのノートを參照した。
 それから、影響をうけるコトと傾倒するコトとの相違に注意。