その名のもとに?

「はいぱーこんこんのブログ(さがさないでください。)」といふ網誌を OCNブログ人ではじめたのが、一聨の公開日記のはじまりだ。むろんその URL名が示すとほり、早安少女組(5th generation)の「おじゃマルシェ紺野」を「應援」するためだつた。
しかし、それらしい記亊をほとんど(全然?)アプすることなく現在に至つてゐる。ひとには向き不向きといふものがある。一般にハロヲタの日記といふものは「推しメン」および「推し」といふ行爲そのものについてを熱ぽく語り、ハロプロ周邊の情報を大量に流通させるといふスタイルをとる。殘念ながら、私はこの形式を蹈襲するコトができなかつたのだ。


さて、正月の行亊で何處やらの神社に走りこんで祈願をする「一番福」だつたか(?)といふのがある。アレをみてゐて、フト想像するコトがある。それは、一番福になつた福男(?)が息をきらせながら …たとへば「戰爭のない世のなかになりますやうに」とか「すべて苦しみを負ふひとがやすらぎを得られますやうに」とかの壮大な願を懸けてゐたら凄くステキだな、ナドといふ莫迦ばかしいかんがへだ。*1


では「こんこんの名のもとに」その手の理想についてを呟いてみるといふのはどうか?。その名のもとに「善」或は「惡意なき世界」についてなるべくたくさん觸れながら、他愛ないおはなしを物語るといふやりかた...*2


しかし私には煩惱が多すぎるな。コレもまた無理め系...

*1:壮大な願 : 實際さうなのかもしれず、ハタで勝手な想像をするやうなコトでもないのかもしれないが...

*2:その名のもとに「善」を指向する言動を爲すコトで「推し」を稱揚できるだらうか? : …どうなんだらう? かなり困難な氣もする。どちらにしろ當該の「ネットワーク」からは相手にされないだらう(まさに實踐中?)。