忘年會だつた。

(※忘れなきやならんほどの活動はしてゐない。)
こゝで、モヲタだと宣言してしまつてゐるので、來年もそれほど仕亊はみこめないだらう*1。べつによいが。
アングラといふのも定型がある場合がそれなりにあるので、つきあひには氣をつかつたりしないでもない(※今日の會とはべつのはなし)。
まあ、あひかはらずこゝを讀んでくれてゐるアナタにはそのワクがないはずで、だからもんだいはないといへるのだけれどね。
ありがちなコトだが、ちりばめられたキーワードだけで厭氣されてしまふと、モゥ挽囘はできない。サヨナラだ。二度と顧みられるコトはないからだ。そのいみで、他人に「忘年」してもらふのは重要だ。忘れられゝば、また機會が與へられる日も來る。


ところで、リズム屋といふのは「關系」の仕亊である。近年、ドンカマチックの普及*2のせゐで、リズムパターンが先にあつてその上に旋律がトッピングされてゐるやうに錯覺されてゐるフシがあるけれども*3、本當は逆なのだ。
まづ「うた」が響き、そこにリズムが生じるのが本來の音樂のありやうなんであつて、はじめに「リズムパターン(パターン!?)」云々などゝいふのは音樂を工業製品とまちがへてゐるとしかかんがへられん發想だ。
音樂について、よく「かっこいい」かどうかを問はれるのだが、受容された結果が「かっこいい」とされるならイザ知れず、音樂を爲す現場で最初から「かっこいい」パターンのパーツをたくさんポケットからとり出せる技術なんていらない。
リズム屋といふのは作家とどれだけ良好な關系を築けるかで、自分の藝術をどれだけ追究できるかゞきまつてくるのだ。だから、作品の讀みはたいせつだ。けれども、注文には應へません。我と彼と他との表現そのものをステロタイプに貶めないために、だ。

*1:干される : どちらかといふと自己のねぢれた性格が禍ひしてゐるといふのが眞相ですかね。あるいみ眞直なつもりなんですが。

*2:ドンカマの普及 : さらに「打ち込み」やら「サンプリング」の技術が向上したのも拍車をかけてゐる。

*3:オケが先 : 我が愛する早安もご多聞にもれず、カラオケ演奏なわけだが。これは仕亊ではなくて趣味だからよいのだXDDD