日記。

滑鼠の右鍵を「コマンド選擇ボタン」とし、左鍵を「決定ボタン」と名稱替へしてはどうかといふやうな案をどこかで讀んだのが、急に記憶の底から浮上して來て「合點だな」とかおもつたり。
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*1:必要な局面で肝腎な處を失念してゐるのは二六時中なのに、自然に想ひ出して來るとなると記憶といふのは全く以て容赦がないものだな。滑鼠を弄つてゐるわけではなくて、家庭用の淨水器の取り付けをしてゐるときにふとこんなことが過ぎつたりしたのだけれど。日々を記録すること即ち「日記をつける」場合に、行動記録としての側面(※客觀的事實といふヤツ)を重視するならば「淨水器」のことや、自家の水道の蛇口を捫ると出て來る水の品評についてを書くべきなのかもしれない。
…ひとの記憶の襞がどのやうに戰がうともそれは主觀に屬するものであるのだらうか。記憶とは現實の寫し取りの遲延した再現に觸れることではないといふことか。