もえない。

「萌え」の何がいけないのかといふに、まづそれが一方的な「消費」の態であるといふことが擧げられるだらう。受動詞としての「萌え」を宛てゝ形容される、この情動が意味するのは、對象から愉樂の感覺を「享受すること」のみであり、しかもその欲求には際限がない。それは究極的には對象を「消尽」する方向へと向ふ。それは「生産」の對極にあるといへる。