今晩のおかずは『鰤大根』です。

地元産の野菜を旬の時季に食べる−といふ當りまへの消費構造が崩れてしまつた爲に『出荷調整』の名の下に生産者による生産物廢棄が行はれてゐる。優秀な出來榮への野菜がたくさん生産されてゐるのに、それらのほとんどは消費者の手には届かない。
しかし"近所の畠"の野菜は、豐作による過剩生産に伴ふ價格下落の際にも*1消費者の手許にまで商品を届けることが可能である。梱包用ダンボール代金と輸送費がかゝらないからだ。だから豐作による恩惠を消費者が得そこなふことはない。
現在店頭では大根が一本30圓~で買へる。

*1:生産物に對する『儲け』はそれほど出ないにしてもこれを賣ることで元手を囘收することゝ賣らずに『補助金』の交付を受けて不賣損益の補填をすることでは(生産者にとつての囘收率が同程度だとするならば)どちらが社會構造の總體にとつては有益だらうか。「野菜の安定供給(いつでもどこでも一定の品質の生産物を購入できる)」の仕組みといふのは一次産業を工業化することに他ならない。消費者が、手に入らない品物の爲にその對價として税金を拂ひ續けることは『豐かさ』を意味するのではなくて、單に『浪費』なのだとはいへまいか?