TRACK5

このアルバムでは、收録曲のうち半數の樂曲に對してグループ内の構成員を小編成に組み變へるといふアレンヂメントを施すことで、表現に大きな幅を持たせている。そのうちでも過半を占める3曲がデュオによる樂曲なのだが、それぞれが全く異なつた方向性を示していることにより更にさうした特徴を際立たせている。このTRACK5は、おそらくエッグのホープと目される(※こゝでは單純に種々のセットリストにおける彼等の登場囘數から判斷した)真野君と能登君のふたりによるローティーンふうの初々しい戀の歌で、他の樂曲に比較すると歌詞内容が稍々低年齢に設定されているみたいだ。打ち込みぽさを強調したシンプルなオケにコーラス系のエフェクト處理を施された感じの歌唱が乘せられて、いかにもアイドル歌謠の雰圍氣に溢れている。こちとら、そこまでは穉氣滿々といふわけでもないので、ちよつと置いてけ堀を喰つた感じだ。ところで、ガッタス推しであるといふことは、それだけでエッグの過半を射程圏としてしまつていることにもなるわけで、些とヤバイ状況だよなあ*1…とか思つたりなんだり。おもふ態の純粋を打つけられて、グラッと來たりしないやうに氣を確りと持たなきや(何?

*1:至近の横濱をはじめとして今後の展開は種々用意されているのだらうから、あまりにも手を擴げ過ぎてしまつては、この世界にどつぷりといふ -まるで、おもふ壼みたいなことになつてしまひ兼ねない。自分を類型に追ひ込んで行くやうな愚は避けたいから、單推しのまゝで軸をズラさないでいることは重要だ(※看板を掲げて當坐の位置情報を示すことゝ身動き出來ない位置に役付きで据ゑられてしまふことゝではぜんぜん意味が違ふのだよ)。かつてベリキューその他に關心を示さないふうにしていたのはこの邊りの事情によるものが大きい。制作者の意圖をどこまでも讀み解いて行くなんてことには興味がない -演出などゝいふものを跋み越えた處での在り態の表現を通してこそ攫み得る解放されたイメジに觸れるだけで自分には充分。