題なし。
きのふの日誌は最後の段落で餘計なことを書いた。ウヱブ上での出來事なんてどうでもよいはなしだ*1。きのふは現場をみて、舞臺とヲタ藝*2のコラボレーションに感動したといふのが眞實だ。
場違ひな「常識論」を持ち出す輩といふのは、會場警備の黒服と似てゐる。客が一見、危ふい行動(奇拔な?)をしてゐるやうにみえても、實際にはパフォーマンスに對するレスポンスとしてその場を共有してゐる意識がある以上、さうさう抑へに入るほどの非道いことにはならない。にも關はらず、前を横切り、やたらと走りまはつてゐる姿がめに付くので(仕事熱心なのはわかるが)こちらとしては氣持ちを削がれてしまひさうになる。さういふことだ。それは「惡」ではないが「臺無し」ではある。
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